こんにちは。
かなでのわ音楽教室、ピアノ講師の稲村です。
今回は、フランスの作曲家、モーリス・ラヴェルの生涯とピアノ曲について紹介します。
前回の記事では、ラヴェルの音楽院での活躍と、その頃作品に大きく影響を受けたパリ万国博覧会について紹介しました。
ローマ大賞を巡っての『ラヴェル事件』。
スキャンダルを経験してからも海外でもラヴェルの人気は健在で、現代的な音楽を促進する音楽家として海外ツアーも行いました。
やがて、第一次世界大戦が勃発。すでにラヴェルの音楽はヨーロッパを中心に高く評価されていましたが、戦争はラヴェルの人生に、間違いなく大きな影響をもたらしました。
ピアノ有名曲「ラヴェル」
第一次世界大戦
ラヴェルはパイロットを希望していましたが、体重が足りずトラック輸送兵として、前線に赴く危険な任務を担いました。
この時に受けた、肉体的・精神的傷は、ラヴェルの音楽創作にもダメージを及ぼしたと言えるでしょう。
音楽家から、兵士として戦争に赴き約2年。
ラヴェルの母親がこの世を去り、耐え難い悲しみに暮れ、創作意欲はますます停滞してゆきました。
この頃作曲されたのが有名なピアノ組曲『クープランの墓』です。
ピアノ曲「クープランの墓」
6曲からなるこの組曲は、約3年かけて作曲されました。
それぞれが、第一次世界大戦で犠牲になった、知人たちをしのぶ追悼の曲です。これが、ラヴェルの作曲した最後のピアノ独奏曲となりました。
フランスの作曲家、フランソワ・クープランを代表とするバロック形式に基づいた作品です。
若いうちから音楽家としての才覚を認められていたラヴェル。
パリ万国博覧会を経て、時代を、世界を先駆けた音楽創作は、その後のクラシック音楽界のあり方をも大きく変えてゆきました。
そんな中での第一次世界大戦。愛国心が強かったラヴェルは、兵士として志願しましたが、健康を害し、大切なひとを数多く失いました。
戦争が起こらなければ、もっと沢山の名曲を生み出していたに違いありません。
しかし、『クープランの墓』はラヴェルが激動の時代を生き、深い傷を背負った証でもある名作と言えるでしょう。
ピアノ協奏曲ト長調
創作意欲の低下は続き、作品をほとんど書いていない年もありました。
そのような1920年代、フランスではエリック・サティをはじめとした前衛的な音楽、アメリカのジャズが広がりを見せていました。
1928年、ラヴェルは初めてアメリカへ渡り、4ヶ月にも渡る演奏公演は大成功をおさめます。これを機に、ラヴェルは更に世界で名前が知られ、またラヴェル自身もアメリカ音楽に感銘を受けたのです。
アメリカ帰国後に作曲されたのが、『ピアノ協奏曲 ト長調』。
作曲されたのは、最晩年の頃、完成する頃には健康状態が悪化し、初演は彼自身が演奏することは叶わなかったと言います。
ラヴェルの母親の出身地である、バスク地方の音楽や、スペイン音楽、ジャズのイディオムが用いられていますが、ラヴェルはモーツァルトやサン=サーンスから強く影響を受けていると主張しているそうです。
多彩な要素が含まれたこの作品は、若い頃に影響を受けたパリ万博にもインスピレーションを受けているのかもしれません。
曲調は華やかでユーモアを感じさせます。
戦争を経験し母を亡くした悲しみをも含んだ、ラヴェルの重厚な人生すべてが詰まっているように思います。
ラヴェルのピアノ独奏曲は、美しい作品がとても多くあり、今でも人々に愛されています。
そんな中でも、ラヴェルの人生に濃く結びついたピアの曲を、紹介しました。
ピアノの煌びやかなタッチが映えるラヴェルの作品たちは、上級者向けといえます。
ですがラヴェル自身も言っているように、原点はモーツァルト等、クラシックの真髄を築いた音楽家から影響を受けており、
ピアノ学習者の手に馴染みやすいのも、世界中で親しまれている理由かもしれません。
あなたも是非、ラヴェルの作品にチャレンジしてみてください。
金沢区の金沢八景、金沢文庫、六浦の近く
横須賀市の追浜、京急田浦の近くにある、かなでのわ音楽教室です。
ピアノとヴァイオリンのレッスンをしています。
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