春が近づき、新しくピアノを始めるという方も少なくありません。
気持ちも新たに、春にピッタリのピアノ曲を紹介します。
春を題材にしたポップスも多いですが、クラシックのピアノ曲も負けてはいません。
ヨーロッパ発祥のクラシック音楽には、その地域特有の事情もあり、春をテーマにした曲がとても多いのです。
クラシックの春
さて、四季は日本にもありますが、ヨーロッパの春は少しだけ事情が違います。
世界的にみて、暖かい国に比べ寒い国で生み出された芸術が発展している傾向があります。
音楽をはじめ、美術、建築、詩などもそうです。寒い冬を乗り越えるために人は、屋内で充実して過ごせる方法を編み出した結果が、芸術なのではないでしょうか。
ヨーロッパの冬は、夜がとても長く太陽がほとんど出ません。
日光はとても貴重で、誰もが暖かな春を待ち望んで過ごしているのです。
そんな春への「憧れ」は、日本人に比べて強くあると思います。春を待ち望む人々の強い想いが、感性を巡らせ、現代にも残る名曲を数多く生み出したのです。
春の名曲
はじめに紹介するのは、ピアノソロで弾ける春の曲。
メンデルスゾーン作曲の無言歌『春の歌』Op.62-6
メンデルスゾーンといえば、ピアノ独奏の他にもアンサンブルや歌曲を多く作曲しており、一般的なイメージとして上品、優美が挙げられます。メンデルスゾーンの音楽的特徴の一つに、「長いフレージング」があります。
一見、技巧的には簡単そうで優美な作品が多いのですが、メンデルスゾーンが作る曲はどれも、一つのフレーズが長いのです。このことが、演奏者を苦しめることも多々。美しいものには理由があり、そのままに美しく表現するには奏者のひと工夫が必要ということですね。
ここで紹介した無言歌は、名前のとおり「歌詞をもたない歌」が由来となっています。
彼は生涯に渡りこの無言歌を作曲し続けています。『春の歌』は無言歌集の中の一曲で、これもまた美しい旋律が春の風を感じさせる名曲です。
人の声で歌うには少々長く思われるフレーズ、ここにメンデルスゾーンの想いが込められているのかもしれません。「優美」と一言では言い尽くせない、重厚感も同時に含んだメンデルスゾーンの世界。
春の喜びや憧れといったものを読み解いてみてはいかがでしょうか。
続いて、歌曲の王様シューベルトから、春にちなんだ名曲をご紹介します。
歌曲『春に』D882(原題 Im Frühling)
エルンスト・シュルツェの詩によるもので、無くした恋を歌ったものです。
ト長調の可愛らしい音型・テンポ感が織りなす春は、失恋ではなく、過去の恋を春の訪れとともに思い出している、といった解釈が近いと思われます。
春には世の中の流れが前向きな印象がありますが、この季節に、過去の恋を懐かしく思い出すというのは味わい深いものがあります。
色とりどりの花が咲き、空は美しい青…といった春の情景を歌う詩も美しいです。
過去の恋と春を結びつけて思うのは、『愛したあなたが摘んだその花』『あなたがいなくなっても太陽は照り続ける、すべてはあの時のままだ』などの言葉です。
どれも一つ一つ、大切な記憶をこの先の春もまた同じように思い出せるようにと、花を摘み取るように柔らかな音楽で書かれています。
その中で「無くした恋」を感じさせるのは『愛の幸せは逃げ去り、愛だけが残った』という部分です。この節だけ短調でシューベルトは書いています。非常に印象的な一節です。
最後はまたト長調に戻り、先程までの調子に戻るのですが、今度は視点が未来に向かっています。
『もし私があの丘の鳥だったら、あの人の甘い歌を歌い続けるのに。夏の終わりまで。』ここで曲が閉じます。
シューベルトは作曲家であり、ピアノ弾きでもあります。友人のために小さなサロンで、自作の曲や即興曲を披露していました。
そんなシューベルトが、この詩に音楽を付けたいと考えたのは、季節や人の心の移ろいに共感するところがあったのでしょうか。
彼らが残した詩や音楽を演奏する私たちもまた、それぞれの視点でこの作品と向き合い、新しい色を生み出すことができます。
春に向かうエネルギーは、時に心を疲弊させてしまうこともあります。
そんなとき、春と向き合った、過去の芸術家たちの想いに寄り添ってみるのはいかがでしょうか。
金沢区の金沢八景、金沢文庫、六浦の近く
横須賀市の追浜、京急田浦の近くにある、かなでのわ音楽教室です。
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